2006-02-07

自分

自分はよく「人の気持ちが分からないヤツ」といわれる。確かに判らない。

ただし、人の気持ちを軽視している訳ではない。大事な事だとは思う。思うのだが、全然理解できない。と言うよりも「人の気持ちは自然に感じ取れる」と考えている人達を胡散臭く感じる。

この「いわなくても判るだろう」と考える人は日本人に多いようだが、客観的に見てどうにも「共感している」様には見えない。不思議だが。逆に私は「いわなければ理解できないヤツ」という評価が固定しているためか、周囲からは「率直な意見」をぶつけられる。まあ、時には大いに凹む事もあるが(聞きたくないことを聞かされる事も多い)、結果的にはより多くの意見を聞く事が出来「分かり合えると信じているヤツ」よりも多くの事を判る事が出来るのではないかと思う。

ただこの「人の気持ちが分からないヤツ」になるためには、永きに渡る孤独が必要だ。私には血縁者としての家族はいる。ただし、あまりにも長い間共同生活を行っていないため、精神的共感は失われて久しい。人は例え動物であっても永い共同生活によって「種を越えた家族」になれる。逆に、どれほどの近親者であっても、精神的には家族でなくなる事もある。

老犬介護に関するドキュメンタリー番組を見て、こんな風に感じて考える私は、やっぱり異常なのだろうか?